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▼前回から間が空いてしまいましたが、雨があがってから壇上伽藍へ向かいました。
大門から壇上伽藍で600mくらいでしょうか。来るときは登坂だったので帰りは下りでらくです。
▼下の地図の中門から入りました。
壇上伽藍
〝伽藍〟とは「僧侶が修行をする場所」という意味で、インドのサンスクリット語に由来しています。さらに、道路から見て一段高い場所、つまり〝壇上〟にあるため壇上伽藍と呼ばれるようになりました。
開山後、空海は壇上伽藍の設営に取り組みましたが、完成をみないうちにこの世をさりました。
中門
道路から立派な楼門が見えます
スロープの入り口がみえますが、せっかくなので正面の階段(写真右)から入ります。
創建は819年ですが何度も火災にあい焼失、1843年の焼失を最後にずっと再建されず、現在の楼門は平成27年に開創1200年を記念して再建されました。
まだ新しいからですね、色も鮮やかで綺麗でした。
中門には四天王像が安置されています。
持国天と多聞天は1843年の火災を免れたもので、増長天と広目天は中門の再建時に現代の仏師によって新造されています。
▼多聞天
ちょっと目が怖いっす(^^;
▼持国天(?)
▼増長天(?)
▼広目天
すみません、持国天と増長天の区別がつきませんでした💦合ってるかな?
べるの認識している四天王像は東大寺基準なのです
▼中門を中から見た写真です。
豪雨の後で中門から雨が滴り落ちて、階段がびしょびしょ、境内の砂地もドロドロです。
そして、めちゃくちゃ暑い!(;・∀・)
金堂
開山後、最初に建立されたと伝わる御社をはじめ、117ある寺院の総本山です。
現在の建物は7度目の再建で1932年に建てられたものです。
大塔の鐘
火災で3度ほど焼失し、現在に鐘楼は1547年に完成したものです。
日本で4番目に大きい鐘楼だったことから、〝高野四郎〟と呼ばれるようになりました。
現在も、午前4時、午後1時、午後5時、午後9時、午後11時に高野山に時を知らせています。
▼真っ白い鐘楼は初めてみました。綺麗で感動しました。
大塔
壇上伽藍といえば大塔、というくらい有名ですね。
お大師さまから2代を費やして816年から887年頃に完成したと伝わっています。
中には有名な立体曼荼羅があるのですが、べるだけ見てないっていう(;・∀・)最後にゆっくり見ようと思っていて・・・・・も~ばかばかばかばか!
ここまで近づいてるのに・・・・・
ブログを書きながら
旦那君「え!見てなかったの?」
べる「もう一回行く・・・・」
旦那君「分かった、行こう(笑)」
六角経蔵
鳥羽法皇の皇后・美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔うために金泥で浄写した一切経を納めるために建立されました。
付いている把手を持って一回りすれば、一切経を一通り読んだ功徳があるとされます。
しかし、めちゃめくちゃ重かったです。
御社
お大師さまは、地元の神々によって教えが尊ばれ守られると考えていたようです。
現在の建物は1594年の再建で重要文化財です。
雨水が溜まっていて、歩くのに気を付けなければいけません。
西塔
現在の建物は1834年に再建されたものです。
お大師さまは、大塔と西塔で二基一対として建立の計画をしていたようですが、お大師さまが生きているうちに完成できませんでした。
御影堂
お大師さまの持仏堂として建立され、現在は弘法大師御影像が安置されています。
堂内外陣にはお大師さま十人弟子像が祀られていて、高野山の中でも最重要の聖域で限られた人しか何入れません。
近年は3月21日に限って一般参拝が可能のようです。
この御影堂左側に金剛峯寺へ通じる道があって、そこから出ちゃったんですよね💦
向こうに見えてる大塔の正面は反対側です。。。。。残念だぁー!
壇上伽藍では2種類の御朱印をいただきました。
▼金堂・薬師如来
▼大伽藍・根本大塔
弘法大師生誕1250年の印は今年限定です。
最後までご覧頂きありがとうございました(●'◡'●)