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立石稲荷神社から歩いて、いつか行きたいと思っていた赤間神宮へやってきました。
国道9号線を歩いていくと、右手に赤間神宮の水天門が見えてきます。
源氏の敵方である平氏にまつわる神社ですが、水天門を見たらテンションが上がってしまいました(笑)
赤間神宮について
859年に阿弥陀寺としてて建立され、その後壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は発見されませんでしたが、勅命によって1191年に御影堂が建てれて、江戸時代まで安徳天皇御影堂と呼ばれていました。
1875年に赤間宮と名称を変更。
安徳天皇の伝承地は多くありますが、1889年には正式に安徳天皇陵に定めれました。
1940年に大社に昇格をして現在の赤間神宮になったのです。
第二次世界大戦で社殿は焼失し、1965年に再建されました。
水天門
赤間神宮の鳥居をくぐって中へ入ると右側に広い駐車場があります。
その駐車場から水天門を見上げて。。。
龍宮造りの門は、安徳天皇と二位の尼が住んでいる竜宮城に因んでいます。
▼左側の階段を登って行きます。
▼水天門の額扁
▼下はコンクリート造りで白く塗られています。
正面に社殿が見えます。
▼水天門を通って振り返ると壇ノ浦。
▼鮮やかな朱色の門扉には天皇家のゆかりの菊のご紋。
▼白と朱色の壁に緑の格子が映えます。
▼壇ノ浦を望む龍宮造りの水天門と回廊は、国の登録有形文化財です。
龍宮城を模した龍宮造りの門は他にもありますが、神宮ではここだけです。
▼浦島太郎伝説の神社
▼江ノ島神社の瑞神門も龍宮造り
▼階段の下には阿吽の狛犬
お父さん狛犬
と思ったら、両方とも阿でしたわ(笑)
本来は拝殿に向かって左側が吽形
お母さん狛犬
愛嬌のあるお顔をしてます。
ちょっと沖縄のシーサーっぽい(笑)
▼手水舎の向こうに安徳天皇阿弥陀寺陵がありますが、ここからは行けないようです。
いろいろ案内や説明の看板等があって、ちょっとゴチャゴチャして見える手水舎(汗)
もっとすっきりしていて欲しかった。
反対側には水天閣と龍宮殿があります。
大安殿
赤間神宮は内拝殿と外拝殿があり、こちらは一般の人が参拝する外拝殿。
▼拝殿の手前に今度こそ阿吽の狛犬さん(´▽`)
こちらは凛々しいお顔をしております。
拝殿に向かって左側には社務所と宝物殿があります。
内拝殿
内拝殿の奥には祝詞殿、さらに奥に神殿。
▼広い舞台のようになっているの場所が内拝殿です。
▼内拝殿から回廊で渡る祝詞殿、その奥の神殿は、海底の竜宮城をイメージした造りで、周りに水を張り海に見立てて、海に浮かぶ神殿を表しています。
芳一堂
小泉八雲で有名な怪談・耳なし芳一は、一夕散人(いっせきさんじん)が書いた『臥遊奇談』の第二巻、琵琶秘曲泣幽霊が元になってると言われています。
物語の中で琵琶法師の名前は芳一、舞台は、長州赤間ヶ関にある阿弥陀寺となっていて、これは今の赤間神宮の事です。
赤間神宮の前は平家が滅亡した壇ノ浦ですから。
平家塚
芳一堂のすぐ先には平家一門のお墓があります。
2列7基づつ14のお墓です。
14人のうち、名前に“盛”が付く平氏が7人いる事から七盛塚とも呼ばれています。
霊感とかは無いんですけど、この一帯はちょっと違う空気を感じて中に入れませんでした。
七盛宮
綺麗なので新しそうです。
水天供養塔
赤間神宮の十三重御宝塔は、それぞれ一枚づつが菩薩や如来です。
赤間神宮に限らず、十三御宝塔はぜんぶそうなんてすけど、面倒くさいので省きます。
一番下は不動明~一番上は虚空蔵天
日本西門鎮守八幡宮
▼日本西門の守り神として創建された八幡宮の拝殿
▼応神天皇を祀っている神社
▼額扁は金箔で縁取れています。
▼八幡宮の裏にひっそりと祀られていた大木
説明書きが何も無かったので不明ですが、屋根付きで注連縄があるので御神木なのだろうか?
平家蟹
平家といえばもう一つ気になるのが平家蟹!ではありませんか?
ん?べる家だけかな(^-^;
社務所の裏に宝物殿があり、そこへ行った時に巫女さんが
「平家蟹の剥製があるので見ていてください」と教えてくれました。
源平合戦最後の舞台となった壇ノ浦では、滅びた平家武将の無念の思いと憤怒に満ちた顔が蟹の甲羅に現れたと言い伝えられています。
小さい蟹は平家蟹、たまに現れる大きな蟹は大将蟹、龍頭と呼ばれるそうです。
平家蟹は宝物殿に入らなくても見る事ができます。
宝物殿は拝観料100円。
比較的新しいものばかりですが、和紙でできた人形で壇ノ浦の合戦に関わる場面や人などが見事な造りでした。
写真撮影は禁止です。
▼御朱印を頂きました。
最後までご覧いただきありがとうございました(*^^*)