ブログへお立ち寄り頂きありがとうございます。
3日目は陶山神社、有田ポーセリンパークの後、福岡県へ移動しました。
この4日間で唯一高速道路を使った移動です。
家族4人で九州へ来たのは2017年9月(その後、旅ともとの鹿児島、旦那君と門司港に行ってます)。
その時は唐津~糸島~宗像に行って、糸島がとても良かったのでまた行きたいと思ってましたが、距離があり過ぎて諦めました。
ブログ書くためにGoogleで検索したら1時間ちょっとでしたが、とても遠く感じました。
大刀洗平和記念館
東洋一の陸軍飛行場跡に建つ博物館です。
九州というと一番有名なのは、多くの特攻隊が出撃した知覧飛行場ですよね。その知覧飛行場は大刀洗飛行場の分校でした。
分校があった知覧町には資料館があるのに、本校の大刀洗には何もなかったことから、地元で建設業を営んでいた渕上宗重さんが1987年に個人で開館した博物館です。
その後、町の合併に伴い、2009年に旧館前の道路を挟んだ向かい側に新らしく筑前町立大刀洗記念館として開館しました。
▼新館は格納庫をイメージした外観になっています。
館内
どちらかというと、知名度が低い記念館です。
3つの戦闘機のみ撮影OKというこで、撮影した写真は少ないですが、その展示はとても充実しています。
出撃前の遺書、遺影があり、たくさんの若い命が失われた事を改めて知る事になりました。
シアターでは昭和20年3月27日に、終業式に1発の爆弾で31人の児童が犠牲になった「頓田の森の悲劇」が再現されていました。
▼薄いグレーの影はB29の大きさを表しています。
▼入館してすぐ、ゴジラ-1.0のポスターがありました。
十八試局地戦闘機「震電」
実は、大刀洗記念館を知ったのは旅行にく少し前のことです。
十八試局地戦闘機として開発された震電は、試作機3機が造られました。
時速200キロ、高度12,500mを飛行するB29に対抗すべく作られた戦闘機です。
昭和20年に席田飛行場(現福岡空港)で試験飛行を行いましたが、実践に使われることなく終戦を迎えました。
敗戦とともに米軍に没収されて、解体されたままの状態でスミソニアン博物館に保管されています。
国内には機体が残っておらず、幻の戦闘機と言われています。
大刀洗記念館には、ゴジラ-1.0の撮影で使われた震電の実物大模型を展示しています。
ゴジラ-1.0で主人公敷島(神木隆之介)が操縦して、ゴジラに突っ込んでいったやつです。
▼機体が大きくて収まりませんでした。
▼こっちが前
▼2階から撮影。
プロペラが機体の後ろにあるエンテ型と呼ばれる前翼機で、機首に30ミル機関砲が4門装備されています。
修学旅行らしき団体が入ってきて、震電の前で記念撮影をしてあっという間に出ていきました。
え?見学はしないのかい?(;・∀・)
零式艦上戦闘機三二型
「南太平洋戦域において最も重要な戦闘機のひとつ」と言われる、零式艦上戦闘機三二型。
▼世界で唯一現存する三二型の実物です。
充分大きい!と思うんですが、天井にあるワイヤーはB29の大きさで、その大きさに驚きました。
震電以前の戦闘機はプロペラが前なんですね。
▼どの飛行機を見ても思う「コクピット、狭っ!」
▼零式艦上戦闘機 主計器(復元)
九七式戦闘機
博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機(世界で唯一の現存機)
グッズ
小さいですがミュージアムショップがあります。
▼べるは、トートバッグを購入♪
▼旦那君は、木製のキーホルダーを購入しました。
企画展・異端の翼震電
当初、3月20日までだった企画展が、アカデミー賞受賞で5月9日まで延長されました。
記事アップ間に合って良かったです^^;
撮影風景のパネルや小道具も展示しています。
アクセス
大刀洗駅下車すぐ近くにあります。
そして、、、、、
有田ポーセリンパークから大刀洗記念館へ行く途中に
みつせ鶏本舗があったのです!
ランチすればよかったと後悔しております。
最後までご覧いただきありがとうございます(●'◡'●)