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沖縄の戦争史跡に行きました。
アクセス
那覇空港から車で15分くらいです。
ゆいレールとバスを乗り継いで行く事も出来ます。
広い駐車場は無料です。
旧海軍司令部豪について
太平洋戦争で最前線だった沖縄本島で、海軍の重要拠点だった小禄飛行場を守る為に作られた豪です。
ほぼ当時のまま残った豪は、全長450mで全て人の手で掘られていて、そのうち300mを見学する事ができます。
▼海軍戦没者慰霊之塔
参観料大人1人45円で中へ入ります。
▼当時の記録写真がたくさんあります。
▼特に子供達の写真は痛々しいです。
▼千羽鶴
▼鶴で首里城が描かれていました。
旧海軍司令部豪資料館
豪へ入る前に資料館を見学します。
▼旭日旗
▼日本の国旗である日の丸はいいんですが、この旭日旗はあまり好きではありません。
戦争をイメージするからだと思います。
▼日本軍の銃器と手製の槍
槍は木の枝を使っていますね。
▼ガスマスクなど
他には豪を掘るのに使ったつるはしや鍬、遺品、沖縄戦の経過写真がたくさんありましたが見ているうちに写真を撮る気持ちが無くなりました。
ここは是非足を運んで実際に見ていただきたい。
旧海軍司令部豪内部
▼豪は地下1Fになるので階段を降りていきます。
▼豪に入りました。
かまぼこ型の通路がたくさんあります。
天井が低く、人がすれ違うのもやっとな狭い場所もありました。
豪の中は見学順路が決められていて、基本は一方通行になっています。
▼作戦室への入り口
▼作戦室
ここで重要な作戦が練られていたのでしょう。
▼墓寮室の壁
この豪では1000人以上の遺体が見つかったそうです。
この豪が完成したのは1944年で終戦は1945年の8月なので、完成した頃はもう戦況は苦しかったのでしょうね。
▼大田司令官の指令室
指令室には大田司令官の句が残されています。
部屋の隅にはお地蔵様がいらっしゃいました。
大君の御はたのもと死してこそ
人と生まれし甲斐ぞありけり
大君=天皇陛下のご命令で死んでこそ
人として生まれた甲斐があったものだ
▼暗号室
▼基本的に部屋の前には鎖があって外から中を除くように見学します。
▼医療室
▼基本は一方通行と書きましたが、何回が同じ場所へ出る事もありました。
▼アメリカ軍上陸全般図
最後に
沖縄県内不発弾処理実績 1,178,869発
海軍豪遺骨収集作業状況 約2,400人
※以下は赤字が日本、緑字がアメリカです
戦死者数 244,238名
12,520名
航空機の損害 7,838機
783機
艦船の損害 16艦
38艦
戦闘兵員 116,400名
548,000名
艦船保有数 47艦
1,023艦
航空機保有数 16,227機
107,000機
戦車保有数 27両
539両
アメリカ軍が使用した砲弾
2,716,691発
なんかもう、桁が違います。
▼外へ出たら今にも降り出しそうな灰色の雲。
実際駐車場へ行くまでに降り出しました
最後までご覧いただきありがとうございました(*^^*)